歌物語「火星シリーズ」＜デジャー・ソリスに捧ぐ＞

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第１巻「火星のプリンセス」より

アメリカ南北戦争のヴァージニア生まれの南軍大尉ジョン・カーターは火星の赤い光に吸い寄せられるように暗黒の宇宙空間を渡り、戦の神の世界・火星に到着します。かつて文明を謳歌した古い世界である火星はすでに果てしない衰亡の途上にあり、全土を覆った海や運河も消え失せ、砂漠と化した地上を怪物が跋扈しているのでした。緑色の肌に四本の腕を持った＜緑色人＞サーク族の捕虜となったジョン・カーターは、三列の牙と十本の脚を持つ火星の＜犬＞をウーラと名付け、友とするのでした。

赤果てなき火星の大地に独りゐて愛犬ウーラの長き背を撫づ

そしてあるとき、そんな世界が一変する事件が起こります。緑色人に捕らえられた地球人類型の人間がジョン・カーターの前に現れます。それが美女デジャー・ソリス。彼女は思いがけず緑色人の中に見つけたジョン・カーターを同胞と思い、身振りで助けを求めるのですが、もとより彼に通じるはずもなく、彼女は侮蔑の表情を浮かべたまま連行されてゆくのでした。ジョン・カーターの底知れぬ落胆と憤怒。そこから以後の波瀾万丈の冒険が始まるのです。

漆黒の髪うつくしき君の目の侮蔑の色を一生（ひとよ）忘れまじ

暴虐の緑色人よ義に燃ゆるヴァージニア人の雄叫びを聞け

公開審問の場でデジャー・ソリスを殴り倒した緑色人戦士を怒りに駆られて倒したことで状況は変わりました。デジャー・ソリスの信頼をかちえただけでなく、緑色人の中での評価も高まり、ジョン・カーターは族長の地位を得ます。火星では、特に緑色人の間では強さが何より尊敬されるのでした。
当然のようにデジャー・ソリスとジョン・カーターの心はよりそっていきます。やがては殺されるであろう運命のもと、廃都コラッドの道を歩くふたりに、火星のふたつの月の揺れ動く光が射していました。
しかしそのとき、ジョン・カーターは失策を犯します。デジャー・ソリスへの愛を自覚したのも束の間、火星の風習を知らない彼は、自分では分からない、とても無礼な仕打ちを彼女にしてしまったのです。デジャー・ソリスもまたジョン・カーターを慕いながら、王家の誇りから、昂然と彼を拒絶するのでした。

交差するふたつの月の影揺れて廃都の道を君と歩みぬ

誇り高き王女の拒絶の言葉さへわが心奥の火をかき立てる

そんなふたりが再び許し合う機会を与えてくれたのはデジャー・ソリスの世話をしていた緑色人の娘、ソラでした。愛とか思いやりを知らない緑色人の中で、彼女だけがそのなんたるかを理解できるのでした。ある夜、彼女はジョン・カーターに自らの出生の秘密と父の名を告げ、その父もまた、「愛」を知る存在であることを教えます。その名はタルス・タルカス。彼こそ後日、ジョン・カーターの無二の戦友となる偉大な戦士なのです。

愛といふものの芽生えを語り来しソラは告げたりその父の名を

ワフーンの海底はるか逃れ来て恋の至福の束の間に酔ふ

ついに脱走の時は来ました。邪悪な皇帝タル・ハジュスのもとからデジャー・ソリスとソラを救出したジョン・カーターは一路デジャーソリスの故国ヘリウムを目指して馬を走らせます。でもなんと言うことでしょう。かれらはサーク族よりどう猛な緑色人ワフーン族に見付かってしまいます。ふたりを逃がすため、一人絶望的な戦いに臨もうとするジョン・カーター。しかし馬から飛び降りたデジャー・ソリスは彼に駆け寄ってこう言います。『逃げてください、ソラ！デジャー・ソリスはここに残って愛するひととともに死にます』。ああ、こんな言葉を一度聞くためなら、男は千回でも命を捧げるでしょう。

結局無理矢理デジャー・ソリスを逃がしたジョン・カーターはワフーン族にとらえられ、闘技場で見せ物になる運命となりました。ワフーンの地下牢でやはり無二の親友となるヘリウムの赤色人戦士カントス・カンと知り合った彼はうまく戦いを偽装し、脱走に成功します。

剣持ちてともに地獄を切り抜けしカントス・カンはついに来たらず

ウーラよウーラ赤く乾きし海底を幾日（いくひ）迷ひて我がもとに来し

しかしカントス・カンは待ち合わせ場所に来ませんでした。何があったかは定かではありません。でもそのことが最後には火星全体を救うきっかけとなるのですから分かりません。ジョン・カーターは遠くサークの都から彼を捜し当ててきた愛犬ウーラを連れて、再びデジャー・ソリスを探す旅に出るのでした。

九つの言葉心に閃くものちの運命（さだめ）をまだ知らざりき

戦乱のならひとはいへゾダンガの卑劣は民の心をも離す

ジョン・カーターは放浪の果てに巨大な建物に行き当たります。そここそ何を隠そう、滅び行く火星に大気を供給している大気製造工場だったのです。老工場長にもてなしを受けたカーターは元気を取り戻しますが、秘密のためにカーターを消そうという工場長の考えを読みとり、同じく心を読んで知った９つのキーワードで扉を開け、危機一髪脱出に成功します。

最寄りの国ゾダンガに向かうカーターは、道中でそのゾダンガが王女捜索に取り組んでいたデジャー・ソリスの故国ヘリウムの虚を突き、卑劣な攻撃を仕掛けて居ることを知ります。やがてゾダンガに入ったカーターは、なんとあのカントス・カンと再会。彼はデジャー・ソリス捜索のためにゾダンガに潜入していたのです。カントス・カンの協力でゾダンガ軍に入隊したカーターは手柄を立て親衛隊に抜擢されました。しかし宮廷の衛兵控え室から見た光景は・・・なんとあのデジャー・ソリスがにこやかに王子サブ・サンと結婚の約束をする場面だったのです！

ひとたびは愛を誓ひし汝（な）が唇（くち）の仇に向かひて笑むを見るとは

緑色の魔の風吹きてゾダンガの王よ非道の結末を見よ

誤解は解けます。カーターがとうの昔に死んだと思ったデジャー・ソリスは、その思い出を胸に秘め、戦争を止めさせるためにあえてサブ・サンと偽りの約束を交わしたのでした。しかし公正な火星人にとって約束は約束、サブ・サンが死なない限りカーターとデジャー・ソリスは結ばれることはなく、また、カーターがサブ・サンを殺してもやはり恋は成就しないのです。『さようなら、わたくしの思い出の族長さま』デジャー・ソリスの哀しい別れの挨拶を受けたカーターはそれでも一路ヘリウムに王女の所在を告げるべく飛ぶのでした。

運命はさらに動きます。方位を見失ったカーターは思いがけずサークのタルス・タルカスを窮地から救います。カーターの協力を得て邪悪な皇帝タル・ハジュスを滅ぼしたタルス・タルカスは新しいサーク皇帝となり、近隣の緑色人部族を糾合してゾダンガに攻め上るのです。いまだかつて存在し得なかった緑色人の部族連合軍にゾダンガは奮戦むなしく陥落します。カーターはまさに結婚式のその場からデジャー・ソリスを救い出し、そして王子サブ・サンは乱戦の中に死に、ここに晴れてカーターとデジャー・ソリスの愛は実るのでした。
（ですが、栄枯盛衰は世のならいといえど、ゾダンガ人の心には癒しがたい傷がのこります。これはのちのちヘリウム帝国に影を落とすことになります。）

もののふは名にこそ死なめさはあれど恨みは消えじ残る想ひに

いままさに孵化せむとする愛し子の傍に倒れし妻のその影

なにはともあれ、平和が訪れました。やがてふたりの間に愛の結晶たる卵が生まれます。しかし、それが明日にも孵化しようというその時、火星全土に大災厄が降りかかりました。生きるために必須な大気。その大気を製造する工場の番人が死亡して工場が作動を止め、しかもそこに入る手だてを誰も知らないというのです。徐々に薄れていく大気の中、デジャー・ソリスと最後の別れの言葉を交わしたそのときでした。ジョン・カーターはかつてその大気工場から脱出したこと、扉を開けるキーワードを知っていることを思い出したのです。孵化器の横にくずおれるデジャー・ソリスを残し、カーターは必死に飛行艇を駆りました。やっとのことでたどりつき、扉を開けたカーターはそのまま意識を失ってしまいました。

意識を取り戻したジョン・カーターがいたのはなんと地球でした。火星に渡ったその場所に戻っていたのです。金鉱を発見したカーターは莫大な富を得ますが、そんなものは失った愛の前になんとむなしいことでしょう。夜毎、生死も分からぬ妻と、まだ見ぬ子の面影に焦がれるカーター。１０年後、火星の方角に両手を伸ばした形で彼の死体が発見されます。傷ひとつなく、まだぬくもりの残る死体。彼の魂は宇宙を渡ってまた火星に戻ったのでしょうか。

現し世（うつしよ）の如何にむなしき夜ごと夜ごと赤き光を恋ひて止まざり

＜『火星のプリンセス』篇おわり＞

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